私たち株式会社ZXが企業として、また社員一人一人が自己の信念として目指しているものがあります。
 それは「個(individuality)」の確立です。「個」とは、現代の風潮の一つである自己の利のみに執心する「個人主義」のことではありません。
 「個」とは、世界全体の中での自己の役割を常に探り、行動する人のことを言います。
 この全体のことを中国古代においては「天」と呼びました。
 この「天」について、株式会社ZXの創始者である伯壬旭会長がお話されたものが、月刊『BOSS』1月号に掲載されましたので、以下に内容を転載させて頂きます。

宮城谷昌光著『重耳(チョウジ)』に学ぶ「天」の思想
株式会社ZX 代表取締役会長 伯壬旭
   中国の古代史を学ぶうえで、宮城谷昌光さんの著書を愛読している。その作品群は膨大だが、いずれも中国を舞台にした単なる歴史小説といったものではなく、その歴史を考えるうえでの貴重な文献、あるいは資料といっていいのではないかとさえ思っている。
 歴史の資料というと、文字で書かれた文献であったり考古学的、歴史学的なものに限定して考えられがちだが、その歴史を実際にコントロールしてきたのは、文字が生まれる以前から人々の心を支配してきた心のありようであるはずだ。だからこそ神話や伝説といったものにも、大きな意味があるのだと思っている。
 昨年亡くなられた漢文学者の白川静さんの本を読んでいて教えられたのは、漢字は我々が子供の頃に教えられたような単なる象形文字ではなく、象意文字といったほうが適切ではないかということだった。もちろん山や川といった象形文字もあるが、多くの漢字がもっと霊的なもの、つまり「天」に対しての人間の関わり方を表現したものだという。
 私はこの「天」というものの考え方こそ、中国が生んだ最も偉大な思想だと思っている。それは死後の世界である天国というようなものではなく、また「天は語らず」というように、予言者を通して語られる人格化された神というものでもない。
 「天」はこの地上に何をもたらそうとしているのか、あるいは何が「天の命」なのか、一人ひとりの人間につねに考えさせるもの、それが「天」というものの概念ではないかと思っている。ある意味で、これは理屈で神を考えるのではなく、ハートで神を感じ取る古代日本人の心に通じるものでもあるように思われる。
 その「天」という概念を考えるうえで、宮城谷昌光さんの作品が非常に参考になるのだ。なかでも私が心をひかれるのは春秋時代を舞台にした『重耳』という作品である。重耳とは、のちに晋の文公と呼ばれた人物で、斉の桓公と並んで春秋の五覇の一人とされる人物だ。一応、この重耳という人物が主人公のように描かれているが、登場する人物がいずれも魅力的で、それぞれが物語を引っ張っている。
 その魅力を一言で言えば、人を生かすために人を殺すこともあるというように何が正しく、何が正しくないかではなく、それぞれの登場人物が大きな時の流れのなかで、自分にとって何が天命なのかを探りながら、ハートが感ずるままに行動していることだ。ここでいうハートとは、利害や得失、あるいは保身、迎合といった脳味噌で考えて行動するようなものではなく、心の感じるままに素直に行動する世界のことだ。
 古代の中国人にとって歴史は天の命そのものであり、また政治そのものであった。だからこそ、史官を使ってそれを忠実に記録に残そうとしたのだろう。周の成王の時代に、まだ幼くして王の地位についた成王がままごと遊びで、ある人物をある国の侯に封じようとした。史官の尹佚は、成王が「遊びだ、遊びだ」というのを退けて「王にざれごとなし」とそのまま史書に書いたという。毛沢東は「天を殺し、人を殺す」と嘯いたが、現在の共産中国をみていると、全てを書き取るというこの精神を失ったために、自分自身の歴史も失ったような気がしてならない。
 それはともかく、宮城谷昌光さんが描く中国の歴史は中国の歴史の世界には様々な人物が登場してくる。英雄や豪傑ばかりではない。歴史上、取るに足らないような人物でも、『重耳』に登場する多くの忠臣や悪役のように、自らのハートの感ずるままにワンポイント的に時代を刻印した人物として見事に描かれている。私は宮城谷昌光さんが描くこういった人物に限りない魅力を感じるのである。

(月刊『BOSS』1月号掲載の記事より転載)
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